去年の年末とは一転、今年は仮想通貨は冷え冷えの一年でした。Steemitのタイムラインも心なしか閑散としています。
そんな一年に私は仮想通貨というかブロックチェーンも含めて、これら分散型の技術に何を期待していたのかなと考えます。
一言で言うと「日々の生活、長期的な視点では人生に余裕が生まれること」を私は期待しているのだと思います。余裕が生まれて、生き続ける・ご飯を食べるための仕事だけに生きなくてよくなるというか、余裕ができて少し家族や社会、環境にいいことをできるようになるといいなと思っています。
あとは今年のSteemFest3で感じた分散型思考のおもしろい人たちとの出会いにも期待しています。出会いについてはインターネット時代にもたくさん面白い出会いがありました。
そんな期待やわくわく感から今年も仕事では仮想通貨、ブロックチェーン、フィンテックを中心に技術解説や翻訳をして、個人の楽しみとしてはSteemitに投稿しながら、この分野をウォッチしていました。仮想通貨のトレードや取引所の事件でダメージを受けなかったのも続けてこられた理由だと思います。
この秋に会社員になったお父ちゃんを見ていて、天気のいい日にお日様の下にいられないってどうなんだろうと改めて考えます。この議論をはじめると喧嘩腰になるので一人でもやもや考えています。お父ちゃんが勤め始めたのは厳しい会社ではなく、むしろ柔軟に対応できるスタートアップです。毎月決まった額のお給料、いろいろな保障などメリットも大きく、会社員であることを否定するのではありません。最終的には好みの問題だと思います。でもやっぱりお日様が出ている日に外に出たいと思った人はみんな自由に日向ぼっこできるといいなと思います。晴耕雨読といいますか。
手足口病になって、なかのかおりさんのブログをみつけて痛い痒いと叫びながら延々読み続け、病児保育について知りました。子どもが病気の時に駆けつけられない・いられない世の中や会社って、これもなんだか変な気がします。もちろん会社も営利企業である以上あれこれ都合はあるだろうし、上司も同僚も部下もみんな同じ状況にあるわけではないから完全に理解し合うことはできないだろうし、保護者にもキャリアなどの事情はあるだろうし、職業によってはそうせざるを得ない人もいるのもわかります。でももやもや。もうちょっと余裕があったら!細かいこと気にせず子供のそばにいてあげられる人が増えたら、まわりも助けてあげられたら。この余裕というやつもきちんと定義しないといけませんが。
私は晴れている日には外に出て、疲れている日や病気の日には休んで、家族が困っていたらなんとかできるように生きていきたいです。お金も稼がなければいけないけれど、自分で作れるものだったら時間を使って作る方が性に合っています。これがのちにキリギリスだったね〜となるかはわかりません。時々怖くもなりますが、心配していてもしょうがない。
分散型の技術がどう余裕を作り出すのかは謎だし、分散型社会で個人の責任が重くなるのがよいことなのかはわかりません。基本中の基本のプライベートキーの管理がまさにこのよい例だと思います。それでも困った時にはSteemitのコミュニティーで見られるようないい助け合いが生まれると信じています。
冷え冷えの1年を終えてもやっぱりこの分野への期待は変わらず、2019年も動向を追い、仕事でこの分野のことを書いて訳して、Steemitでも書いて、できたらSteemFest4に参加したいです。せっかく生まれたのだし自分の人生で実験。はてさてどうなることでしょう :)
2019年は明るい年になりますように!